ダムに水没した地区の人々の心のより処。
昭和38年に始まった九頭竜ダム建設工事によって水没地なる12集落(鷲、長野、影路、野尻、大谷、米俵、持穴、箱ヶ瀬、荷暮、下半原、上半原)及び奥地のため残存不能となる5集落(伊勢三部落、久沢、東市布)の計17集落四百十数戸が余儀なく移転移住となった。
これらの集落には、氏神として社があり、そのうちの8社即ち春日神社(鷲)神明神社(長野)立会神社(影路、野尻)春日神社(大谷)神明神社(米俵、久沢)神明神社(伊勢三部落)白山神社(持穴、箱ヶ瀬、池が島)神明神社(下半原、上半原、東市布)の資産をもって昭和44年に社殿を建立し、他の5社の祭神をも合祀し、穴馬総社となった。
例年5月5日には「祭り」が開催され、各地に散らばった人々が集まり、祖先の冥福を祈り、子孫の安泰を願うという。穴馬の里を離れた人々の心のより処となってきた。
和泉の案内書「ディノアドべンチャーバス」