歴史的な真宗文化の中心としての道場。
川合道場は最勝寺文書によると、室町後期の永正年間に設立されたという。地元では享保5年(1720年)に建築され、安政6年(1859年)に再建築された。また、創建後度々改築された。この道場は非常に堅牢な建て方で、柱はヒノキとケヤキの尺角を使用している。奥行き8間、間口5間半で、中間に柱なしの御堂を支えるケタは直径二尺あまりのマツが使用されている。わずか15戸余の集落で、当時これだけの建物を完成させたことは、貧しい生活の中で食を節約し、着る物を辛抱しながら、ただ念仏一筋の先祖の汗と血の結晶であるといえよう。
和泉地区の真宗は全国的にも珍しく阿弥陀信仰以外はほとんどなく、純粋性を保ってきた。
地区民は、道場を中心に生活を送っており、信仰と世俗的生活に密接に結合していた。
真宗教団発展の背景は「講」と呼ぶ同行衆の結社であったが、この講中の寄り場がすなわち道場で、地区の道場は門徒の合力によって建設された惣道場の形態をとっている。
正面中央の内陣は、御堂と呼ばれる外陣より一段高く襖で仕切られている。仏間の中央には阿弥陀如来の立像または絵像が安置され、輪番で村民がお守りしている。
道場は、月例の講や回壇の際の寺の宗教行事から地区民の世俗的協議いわゆる寄り合いの場にもなり、公民館の役割も果たしている。