中竜鉱山は、旧和泉村時代に隆盛を極めた亜鉛鉱山。
中竜鉱山については、鎌倉時代の寛元年間(1243~1247)に、京都大原より移住してきた武士が、鉱脈を発見したという伝承があります。
明治7年、福井の吉村実十郎氏が、地元の谷口和三郎氏と8年間採掘、明治27年、福井の徳野山政五郎氏が経営、銀、鉛の採掘に務めました。明治36年には、深坂鉱山として採掘、同43年大阪亜鉛鉱業が経営、ベルギー人グレゴフルの投資で、鉛、亜鉛鉱を採掘したが、2年で休山、大正15年に藤田組の調査の下に、地元の谷口市松氏の案内で横浜の中村房次郎氏と、鉱区所有者竜田哲太郎氏が協議の上、8年間採鉱を続けました。中村の中と竜田の竜を採って「中竜」と名付けたと云われています。
昭和9年、日本亜鉛鉱業(株)を創業し、中村氏、竜田氏、三井鉱山の出資の元で、中竜鉱山が発足、昭和16年三井鉱山に経営を委任したため、三井関連会社として大発展をとげました。
昭和62年まで採鉱を続けましたが、折からの不況、円高の影響でやむなく休鉱、穴馬最後の鉱山の火は消えました。
中山正治氏「穴馬の歴史と伝説」より