縄文遺跡

 縄文時代の遺跡群。

 小谷堂遺跡は、石徹白川右岸の河岸段丘上に立地している、縄文時代の集落遺跡である。標高は600m、遺跡の範囲は南北約80m、東西約100m程である。遺跡は河谷に沿うなだらかな段丘面にあり、縄文人は水の便と日当たりのよい南向きの地を選んでおり、遺跡の大部分は近年まであった人家と重なり合っていた。
 平面形が隅丸方形を呈し、東西の長さ3.3m、南北の長さは3.15mで、主柱は4本であった。住居址は地表面から30~40cm掘り下げ、踏み固めた床面(土間)が形成されていた。この床面から直径25cm内外で深さ30cm程の柱穴を掘り込んでいた。本住居址の西南寄りの中央には、60cm四方の炉(いろり)の跡があった。この住居址の大きさは小規模で、現在の6畳の間ぐらいの広さである。
 出土した縄文式土器は、破片ばかりで縄文時代中期後半から末にかけてのもので、千葉県加曽利貝塚E地区より出土した土器の系列に属するものである。この種の土器は、中部高地から関東・東海地方に分布している。
なお、石徹白川の左岸、河床から高さ10mの河岸段丘上にも角野前坂縄文遺跡がある。
さらに、下流の河岸段丘に後野遺跡もある
      印牧邦雄氏「和泉の自然と歴史」より